楕円偏光

elliptic polarization of light

供花2

母の火葬が終わった

母の遺体は骨だけになり、骨壺におさめられた

感情的になってはいるものの、実家で飼っていたウサギが死んだときのほうが、好きだった音楽家が死んだときのほうが、よほどショックを受けていたような気がする

一方で自分が受けるショックをコントロールして最小限にとどめているようにも感じており、周囲の人間に、とりわけ実家の人間にそんなようすを見られたくないからであろうが、それを家人にだけ適用外にするという器用な真似ができず、おそらく本来の感情が行き場を失っているように思えるので、後々に悪影響を及ぼす場合がありそうで危機感を覚えている

火葬の当日の日曜の朝、さいごに一人だけで母と向き合った

そうしなければ、本来の悲しみを取り出すことが困難だった

子供の頃は子供ながらに母に親愛をおぼえており怒りっぽいお母さんという印象だけだったので、その頃に焼いてもらった世話の数々にその頃の私が悲しんでいるのはとても理解できる

何度かなきがらに泣いてすがるようにする自分を想像して(実際そうしたかったのかはっきりしない)、そこまで感情を爆発させたら反動が計り知れず恐ろしくてできない

しかし、このひとに世話になったことについては生前伝えられなかった気がするので言葉にするべきだろうと、産んでくれてありがとうと口にした

話をしても共通言語も常識もなさすぎて通じなかったので会話なんてしたくもなかったしこのひとが喜ぶことなんて言いたくもなかったから、きっと生前は一度も言ったことはなかった

せっかくおなかを痛めて産んだ娘がこんな恩知らずでかわいそうな人だ

でもしかたない、自分の矮小な価値観で自尊心を傷付け続けた人間に、感謝されようなんて思うほうが図々しいというもの

来世ではもっと知見を広げる努力をしてください

実の母に捨てられた自分は子供の頃はここまでしてもらえなかったんだからおまえは恵まれているもっと感謝しろと子供に自分の幼少期の鬱憤を押し付けるような大人にはならないでください

子供は産んで大きくするだけがすべてじゃないし自分の思うとおりに大きくなるわけでもない

大罪をおかしたわけでもないのにそこまで嫌われるいわれもないとお思いになるかもしれない、確かに私ももう正直どうして実の母をここまで嫌うのだろうと思うこともある

あなたが先を急いだのは、せっせと介護をしていた母が先立ち手持無沙汰になり、息子が定職につかないことに苛立ち、また娘が孫を産まないことに(自分と同じ立場にならないことに)絶望したからなのかもしれない

もともと介護疲れで体が限界だったのかもしれない

でもどれもありふれたことでとりわけ不幸なことでもない

あなたの人生であなたの選択だから、他人が付け入る隙などなかったのだろうと思う

精一杯に生きてたひとだから、晩年は不自由な生活で不安も多かっただろうが、悔いのすくない一生だっただろう

 

あなたが死ねば私はあなたの呪いから解放されるのかと思ったこともあったが、やはりそういう簡単なものでもなかった

この呪いもとりわけ不幸なことでもないのに、そんなどうでもいいものに執着しているから、こんなにも惨めなのかもしれない

かわいそうなまま生きていき、死んでいく、結局私もあなたと同じ道を歩くのでしょうね

供花

母が死んだ

母の母である祖母が亡くなって、十年経たず亡くなった、74歳で老衰だった

彼女は自分が十年後生きていないということをわかっていただろうか、64歳の当時、母を見送るとき、自分の老いを想像できていたのだろうか

初めて母のいない夜を生きる

母のいる人生を送ってきたためだ

もう意識のある彼女と会話をしたのはいつだったか思い出せない

晩年は寝たきりの状態でほとんど会話もできない状態だったからだ

祖母がなくなったときは母が張り切って通夜も葬式もしたが、今回は直葬で両方なしになりそうだ、参列者は父と弟と夫と自分の四名ぽっち

もっとちゃんとしてよと思っただろうなと想像した

棺にいれるものを考えようと思うが思い浮かばない

彼女の好きなものも思い出せない

断片的に思い出す、人間として母親を失った子供として悲しみたい、悲しんでやれるような思い入れが彼女にない、無自覚に呪いをあまたかけられた恨みを維持していたい、自分が母親でないものだから子供の立場や視点からでしか彼女のことを見てやることができない、一対一で遺体と相対していると涙が出てくる、何もわかることなくこの世を去ったんだあのひとは、あのひとが自分を出産した年になった娘を見ることもなく目を閉じた、自分の結末もこんな姿なのだろうかと思いを致しそのときはその姿を誰が見てくれるのかそんなひとはいない気がしてならない……

今子供をつくったりしたら、私はきっと母に見せたかったと思うし、まったく真逆の思いも持つのだろう、見せずに済んだと

そんな自分になるのがいやだから持ちたくない、母に子供を見せたかったなんて、絶対に思いたくない

通り過ぎていくことを知っている

思っていたよりも母の死を悲しんでいて、ほっとしたし、自分を軽蔑した

人生楽しかったかな、あのひと

最期にかどうかさだかでないが、唇を強く嚙んだような痕があった

口惜しい思いのあらわれなのではないかとおもえて、可哀想にとあわれんだのだ

夢裡

真新しい端末を手にしたので、以前はデバイスの許容量にあわせてインストールをしていなかったアプリケーションをダウンロードして便利さを甘受していた

feedlyもその中のひとつで、これからまた使って楽しみをさがしていこうとインストールした

そのなかに、過去に付き合いのあった多くのひとのフィードも登録されていて、その名前を目にしてしまったからか、夢でそのひとと関わるようすがあらわれてしまった

ほんの一瞬目にしただけで夢にあらわれるとは、なんと影響力の高いことかと驚いた

睡眠時に脳が見せる幻で、こちらは先方になんだかの電子メールを送信していて、それについて「もうやめてください」という返信がきて、それについてのリアクションを記憶していないが拒絶されたのだからいくばくかはショッキングだったのではないかと思われる

目覚めたうつつの当方は当該の人物についての幻視を体験したことにもショックを受けてさらにそのうちで拒絶をされたことにもショックを受けと二重の血圧の低下をにわかに発症させたし、寝起きだったこともあいまって症状からの解脱に時間を要した

こういうときはあのひとだなという詩人がいるのでメールを送ったら宛先不明だった

Facebookメッセンジャーから改めて送ったらすぐさまに返答がきて、新しくアイクラウドのメールアドレスを教えてもらえた

電話ができるアプリだがかけてもいいのか?と誘いをかけたら夜ならいいと返事がきたが、夜だと家の者が帰ってくるし、このときに音声会話をしたかったものだから、軽くメッセージでやりとりしているうちに気分が上昇したのもあり、それなら結構と断った

午前十時頃に雨が降るという予報を見て洗濯を室内で干したが窓の外の平常の日射からはそのようなようすはうかがえない

なかなかできずにいた、あちらこちらで停滞している埃を掃除機で追い払うことに取り組めたので、冷房をつけたら猫がいちもくさんに涼みにきた

そろそろ豆乳ジュースでは物足りなく感じるので、何か腹に入れるものをと冷蔵庫に手を伸ばす

懇款

体の調子についての自信がからきしになった昨年とは打って変わって、今年はいまのところ上々の日々のように思う

 

昨年末に思い切って畳付き檜木ベッドフレームを買った、いろいろ見て回る体力など当てがなかったのでニトリのオンラインショップで注文した

昨年は首の調子が悪く、くしゃみをしただけで首をいためたりしていたので、ベッドがよくないのだろうと敷布団をしいて寝ていたのだが、冬場は底冷えがしてかなわないのでベッドで寝たい、しかし一人暮らしを始めるにあたってニトリで買ったソファベッドが人を寝かすのに適していない、ということで新しくベッドを買った

 

今年に入って仕事始めの早朝、配偶者がギックリ腰を発症して初っ端から遅刻した

冷え込みが強い日は休暇にしたりして、体調に配慮しながら働いていた

夢二郷土美術館に訪問したり、回復傾向も見えたが、あいかわらず頭が熱いだるいとうめいていた

 

同年二月、ジムのサウナにハマってよく仕事終わりに通っていた、土日は外出しない方針だったがサウナのためだけに土曜だけ外出したりしていた

”帰り道、いまこのときが一番しあわせだなんて思ってはだめだよとやりきれなさをにじませていた/ひとりきりでうけとめる寒さをよすがにして生きたりしないでほしい、お願いだから/サウナ入って、本来の自分を取り戻してしまった気がする”などとのたまっていることから、平常時の落ち着きを取り戻していたのではないかと推察する

45分のヨガ系のプログラムに初めて参加して、思っていたよりも自分でもできそうだった、また体にとって良さそうと感じて、継続していこうと前向きに検討することに

 

YouTubeで体のほてりの改善方法を発見し、感銘を受ける

【自律神経失調症】押すだけ10秒、自律神経を整えるプロ技のセルフケア!【のむら整骨院 大阪】 - YouTube

”5万くらいぼったくったあの整体師はこれ知らなかったのか、いや似た動作をやってくれてた気もする……”などとのたまっているので、好転をかなり感じていたもよう

毎朝会う別の課の派遣の女性が急遽退職することになりショックを受ける

逃げていた正社員試験から逃げられなくなり、筆記試験があるので、二月は例年仕事量が落ち着くので仕事中にSPIの勉強をしていた

バイトしてたときに同じ職場だった女性から十年ぶりくらいに連絡があって何かと思ったら金貸してって連絡だった、怪しすぎて無理と思ったけど、当時車をぶつけて迷惑をかけたことがあったので、配偶者と相談して免許証のコピーをもらう条件で4万貸した

 

同年三月、数カ月前に増員された契約社員の方がだいぶアレで、半年更新だが最初の更新が伸るか反るかのような状況……というなか迎える繫忙期、人手が増えたということで例年より負担がすくなく(去年まで恒例だった辞めたい病は発症しなかった)乗り越えた気もするけど、別の負担も増えてプラマイゼロというのが正直な感想だった

”上司に対しておこなうようなもしくはそれ以上の気遣いをおこないながら後輩契約社員をいなし、なんとか繁忙期が終わった、終わってみればやはり人手がまがりなりにも増えたからなのかいつもより余力をいくばくか残してシーズンを終えたような気がする、大間違いもいまのところない”との当時の言

後半はキツさがそうさせたのか、オンラインショップでセール品を買いあさって何かを発散していた

 

同年四月、一般職登用の申請書というプチ小論文のようなものを書かなければならず、非常に沈痛な面持ちでいたがやればできる子なのか一日残業しただけでたたき台ができて早々と解放された、上司に見てもらったけど概ね良好との判断だった、良かった

あこがれだったリーボックのインスタポンプフューリーを買った、県内のカインズに行ってキャットタワーを買ったなど、余裕が見られるも、背中が痛いなどの愁訴もあったころのよう

 

同年五月、祝日が多いため、フィットネスクラブを休会に、間もなく緊急事態宣言が出され休会が六月末まで延長されることに……運動を休むと体調を崩すというジンクスが確立されてしまったので家の中でYouTubeを参考にできることをちまちまするも動悸がしてるような感じで呼吸が浅くマスクがつらい、在宅勤務中にSPI勉強するも集中できない、などの状況に見舞われる

月末は赤い公園の後悔を払しょくするかのように、Helsinki Lambda Clubのライブにコソコソ参加、オーディエンスがほぼほぼ二十代でアウェーをビシバシ感じるも、初めてだったしそれなりに楽しめた、数年ぶりの箱ライブだった

お金貸した女が詐欺だったと泣いて電話してきてすぐに返せないと泣きついてきた

 

同年六月、引き続きコソコソとGRAPEVINEのライブに行った、初GRAPEVINEはとても良いものだった(客層も幅広くて安定感あった)、号泣した

問題の後輩はこの月末に退職となった、少し前に退職した女性がやめたときはとてもショックで悲しい気持ちになり落ち込んだが、このときは対照的に心が軽かった、やっと問題児のお守りから解放されるという思いが上司の総合職さんともども強かった

金貸した女がまた貸してほしいって言ってきたのでそれはさすがに無理と断った

 

同年七月、散髪にいった、いつも言ってる店の予約がとれず、そろそろ一般職登用の面接が入るだろうと別の店に行った、気になる点もあったが、悪くなかった、また都合がつかないときは利用しようとおもうくらいには好感触だった

久々にジムを再開したので、体がとても軽くなって、体をケアすることに意識が集中できてスッキリできた

髪を切ってまもなく面接があった、本人曰く、”緊張してげぼ吐いて泣くかとおもったもう二度といやだとおもった/なにもかもがうまくできていないというような気分になってさいあくだった/緊張したせいで体調も悪くなった/ひとからいわれてやってるんじゃなくて自分で望んでやっているんだよねという確認がはいったときに首肯するのもいやだった(そんなわけがないだろう)”とのこと

一週間後に結果が出て、八月から正社員登用が決まったが、何がうれしいかって、周囲の人に結果を伝えるときに気持ちよく伝えることができて、もう試験を受けなくていいってことだよという心持だった

減員したので、委託していた雑用が全部帰ってきて仕事がまわらなくなって毎日定時17時半くらいで帰れていたのに20時半とかまで残業をするようになった

 

同年八月、晴れて一般職になり、思いのほかいろんなひとから、組織表見たよ、おめでとうと言ってもらえてうれしかった

直属の総合職の女性から合格祝いとしてシルクの枕カバーをもらった(ひもで結ぶタイプだったのでひもの部分を猫にすべてちぎられたことは伏せられている)

仲良しの年下の契約社員の女性たちからもこちらからロクシタンのシャンプーが欲しいと伝えてそれをプレゼントしてもらった(だいぶ遅れてきた(九月上旬くらい?)のでなめられてるのかなと感じてしまった私は性格が悪い/すぐもらえるようにモノを指定したのに……考えずに済むようにさ……)

フジロックを配信で見て楽しんだ、知らなかったのとか知られて楽しかった……なんていうかサンボマスター見て号泣した……

 

同年九月、自家用車をムーブキャンバス(スムースグレーマイカメタリック)に買い替えた、タントのように20インチの自転車を乗せたりできなくなったため、自転車も通販で買い替えた

長年の夢、三角形の自転車、ストライダを買った

毎日通勤で乗っていて、最初はよく乗る自転車のように乗れず怖かったけど、慣れたら前の自転車よりもぐんぐん進んで、とても気分が良い

九月下旬、仔猫がやってきた

それよりも前から、そろそろTwitterを再開してもいいのではないだろうか、と考えていたので、これを機に再開した

歓迎されるだろうか、知らん顔されるだろうかと、おっかなびっくりだったが、少なくない人数のフォロワさんに歓迎してもらえて、うれしかった、ありがたかった

復帰するつもりはあまりなかったから、ひっそりいなくなるかんじにするつもりだったため、休むとか言わなかったから、なんやねんこいつとキレられてもおかしくなかったはずだが、いやもしかしたらキレてもらってたかもしれないが、そんなことを大人のひとたちがひけらかすはずもないですよね、そうですね失礼いたしました、みなさまご厚意をありがとうございます

 

去年はとてもつらかったけれど、今年は楽しいことに恵まれていると感じられる

ねこさんが増えてうれしい反面、しっかり面倒を見ていかなければ、配偶者に不測の事態が起こったときには自分が世話をしていかねばという気持ちである

 

はてブは死んだので、はてブでしていたような目に留まったことを流していくのはtumblrで発信していきます、見てもらえたり反応してもらったらうれしいです

 

 

追伸

こどもいないけどニチアサにはまってリバイスとゼンカイジャーとトロプリ見てます

去年はアイカツプラネット見てました

以上です

 

模様

薄情な人間でいたくはない、身近の他人に薄情と思われたくないという考えに占拠されてしまうことがあり、自分が薄情だとなかなか認められないことがあるが、そうとはいっても、私は薄情な人間だと思う

昨年一月、Twitterと距離を取ることにした

三が日から調子が悪く年賀状の返事もこの年ができなかったので、やめることにした

年明けの仕事始めで一週間ほとんどまともに寝られなかったということがありそのとき心底滅入って、生活のスタイルを見直すべきなのかもしれない、依存しがちなインターネット閲覧を制限すれば多少の改善も認められるのでは、と考えたうえでのことだった

あとは、ザラリ・ズルリと名乗っていたが、このキャラクターの始まりが失恋によるものということもあり、ここのところはすっかり猫アカウントと化しているが、女々しさのこもった始まりのこのアカウントを名乗ることに抵抗のようなものを感じていたため、そろそろ潮時なのではないだろうかと思っていたことも理由の一つにある

自業自得なので致し方がないし理解に苦しまれるかもしれないが、はてなブックマークの利用停止措置を受けて大いにショックを受けて、立ち直れない、もうtwitterに復帰するような気持になれそうにないというほど落ち込んだ

これについて書くためにはてなからきた通知メール見たりしたらいまもつらい気持ちになり詳細を書こうとしたがだめだった

個人的にはtwitter以上に気に入って使っていたので、大変なショックだった

はてなのアカウントもすべて消したいくらいつらかったけれど、ブログでもらったスターさえ消えてしまうのがつらくてこらえた

また、ハロープロジェクトこぶしファクトリーというグループの解散もまた、私の落ち込みに拍車をかけた

あまりハロプロには思い入れのなかった私だが、twitterのフォローしているひとのなかにアンジュルム船木結さんをとても熱心に応援しているひとがいてそのようすを見ていて、私も船木さんが大好きになり、その流れでハロープロジェクト全体に思い入れが深くなっていた

このときの私を元気づけてくれたのが、モーニング娘。20、アンジュルム、juice₌juice、つばきファクトリーこぶしファクトリー、BEYOOOOONDSだった

YouTubeでライブ映像を見て涙したり、MVのパフォーマンスに魅了されたり、つんく♂をはじめとする多くの作家さんの作る楽曲に惚れ惚れし、正常に感情が高揚することを認識させてくれるありがたい存在だった

同年二月、体が重くて朝起きられないので、熱めの湯船につかって少しでも体を動かせるようにして、自転車を運転するとふらついて不安なので、配偶者に車で会社まで送ってもらっていた

体を引きずって仕事をしている感覚だった

三月は繁忙期だったので、上記のショックな出来事も重なって、来年も増員がなかったら本当に仕事をやめたい、人間関係がよくても体がもたないと深刻に考えていたが、そんなことを知るはずもない上司から一般職に転換できる試験をうけられるから受けないかと話があったりした

上司からしたら、契約社員として申し分ない働きをしてくれているので安定する一般職になれるほうがいいのではないかという考えなのだが、そもそも試験を受けるほどのモチベーションがないし、しかも自分でなりたいから今の仕事とは別にこれからこんなこともしますって仕事を増やすことを申告させられるし取締役との面接もあるっていうしやりたいはずがないという気持ちだったので丁重にお断りした

同年四月頃は、緊急事態宣言の発出により、在宅勤務があったりして、しかし会社イントラでしか使えないようなシステムや、家のディスプレイと会社のパソコンの相性が悪かったりして、家でできる仕事はほとんどなく、ほぼほぼ寝ていた

当時、半日働いただけで疲れ果てて正常な判断ができないような状況だったので、たまにメールをチェックしてそれについて電話で指示を受けたりするだけで事足りていたので、会社でしかできない仕事ができずそれについてジレンマはあったものの、これは私にとってはとてもありがたかった

歯科に行って検温したら37.1とかだったりするから歯科助手のおねえさんをとても困らせた、常にのぼせていた

市内の実家にいる母が要介護2の状態になって粗相用の下着をつけるようになっており、世話をしている父がたいへんそうだった

いずれ私がしなければならなくなるのだろうかと途方に暮れた、実家に行くといつも具合が悪くなる

七月、スピッツが地元に来るコンサートがありチケットを取っていたが、延期となった(これはその後中止となってしまった)

同年七月末、YouTubeで整体院の先生が紹介していた簡単なツボ押しのようなもので一時的であったものの劇的に体調が回復した経験があったことを思い出し、もしかして整体か整骨院かにいったらいいのだろうか……と検索をして自律神経失調等にお悩みのかたにとでかでかと書かれたところを発見したので、もう最後の手段だと、見つけた整体に通って高額の支払い(一回8000円くらい)をしたりしたが、最初こそ自分の体の悩みを聞いてもらったことに安心して情緒を乱してしまうほどだったのに、通えば通うほど良くはなってるけどよくなりきってない、という中途半端なかんじで、最初に5,6回くらい通ってもらえれば治りますと朗らかに断言されてたはずなのに思ったのと違うとおもったのでそこは7回ほど通ってそれきりになった

九月に地元でフリーライブがあり、奇妙礼太郎とさとうもかを目撃した、素敵な体験だった、同日の四星球も観覧したかったのだが体力がもたずその場を離れることになった

十月、衝撃が走った

津野米咲が急死したのだ

赤い公園は前の年の十二月に地元にライブに来ていて直近のシングルが非常に素晴らしく是非生で聞きたい、石野理子の唄を聞きたいと、とてもいきたかった、けど体調が思わしくなく、泣く泣く断念したのだ

私と津野米咲の出会いはSMAP「Joy!!」だとおもう

そのときのSMAPはいろんな若手のアーティストから楽曲提供を受けていてそれを知るのも楽しかったし、この曲はひときわ異彩を放っていた

それから赤い公園を知って、アイドルネッサンスを知って、新体制の赤い公園を知って、とても好きになった

絶対零度を聞いたときは、強く激しい美しい音楽センスをかんじた、もっともっと津野米咲の創造する音楽を聴いていたかった、この気持ちが彼女には重荷だったのだろうか……

とてもとてもつらかった、メンバーの言葉を読んで、何度も泣いた

それからは体質を変えなければいけないのだと今まで会費を払うだけになったりしていたジム通いを熱心におこなうようになり、週の平日に三日程度通ったりしていたと思う

その成果もあってか、劇場に足を運んで鬼滅の刃を見たりする体力を獲得することができた

十一月、待望の増員が叶った、これで来年の三月は安泰……と思っていたのもつかの間だった

十二月、平日しか通わないので今月は休日が多いからとジムを休会にしたりしたのがだめだったようで、メニエール病未満を発症した(医師には病気と診断する手前のような言い方だった)ため、仕事を一週間ほど休んだ、復帰したあとも出勤を遅めにしたり薬をたくさん飲んだりした

 

というかんじで、去年は最初から最後まで全体的な調子がグダグダだった

家族がひとり猫がふたりいないと乗り越えられないしんどさだった

私は恵まれていて運がいいとおもう

運がいいだけの人間だ

 

瘡蓋

家にいる年長のほうの猫の左後ろ足の外側の指の爪が根元のあたりから剥がれてしまっており、恐らく年少のほうの猫との取っ組み合いの末の負傷であるのだろうが、赤い肉が生々しく見えているのでこの爪は新しく生えてきてくれるのだろうかと心配にかられている

怪我をした当日も家の白いフローリングの床に血が乾いたあとの茶色が点々としていたが、数日経ってそれより鮮やかな赤色の点々が散見されていて、かさぶたが何かの拍子か自らのグルーミングで舐め取れてしまったかで落ちてしまったのだろうけれども、前にも似たような状態になっていたことがあるので、また同じように生えてきてくれるだろうと楽観していたのだがそのときはそのようなことはなかったので治りにくいたぐいのもので悪化してしまわないだろうかと危惧しているのだ

 

配偶者が家を空けている

今夜は親族の法事の予定が入っており、自分も参加する予定であったのだが、体調が先々月下旬から思わしくなく、体調だけならまだしも気分の変調も著しいので一週間前に辞退の連絡を伴侶から伴侶の実家へ入れてもらっていた

22時を過ぎて車で駅に向かうために家人は家を出た

猫とともに家人のいない夜を過ごすのは初めてだ

今夜はテイクアウトの寿司が夕飯だったのだが、そのときにメニューを見ながらお好みで一貫ずつ選べるという注文のしかただったので私の注文を忘れないようにと家人が手書きでメモを取ってから電話口で発注していたため机の上にその手書きのメモが残っていた

パソコンを起動したときに近くにあったこのひとの手書きの文字が目に映って、婚前に交換日記をしていたことを思い出しとても懐かしいと感じた、そんなこともしていた、あのひとはそんなことやりたいと言い出したりしない、私から提案したのだ、交際相手としてみたいと言って

私の欲望をいつも叶えてくれるひとなのだ

いつでも私の望みを叶えてくれた

服も靴も家も食べ物も酒もなんでも買ってくれた、家のことは料理も食器洗いも買い物も洗濯も毎日してくれる、猫も迎えてくれた、言ったことを覚えていなくても言われたことに生返事をして聞いていないと言っても非難しないし、私の両親や私の兄弟のこともいやそうにせず聞いてくれる、子供を産まないでもよしとしてくれる、体調が悪くて医者にかからずに仕事をしてつらそうにしても不満をぶつけたりしないでいてくれる、そこにいてくれる

そんなできたひとの子供なら、産みたいって思ったら、いいのにさ

何度もこのループを繰り返しているので、飽き飽きだ

 

そんな奇跡のようなひとがいない夜が、私は心地がよくて、お酒を飲むのさえも惜しく思えてしまうほどなのだ

他人のいない夜が生きていると必要なのに、生きているためには他人と暮らしていないと不便ですというこの心を、私は認めないといけないのかなあ、受け入れないといけないのかなあ、愛せないなんて言わずに、矛盾が美しいと誰かに言われたいと虫のいい戯言をいえる年嵩でもないのに

他人用の自分と本来の自分の乖離が激しいのでストレスと業務中もふらつく意識をやっとのことで支えているのだが家ではそんなことはないと思っていた極楽だと思っていた

そんなことないこと、なかったんだな

やっと落ち着いたと思える

自分のことだけを考えていられる

家人が私のことをやってくれたと思わなくていい、心配させていると思わなくていい

他人のことを考えなくていい

私はずっと私のことだけを考えていたかったのかもしれない

それができなくてつらかったのかもしれない

でも伴侶はあたたかいので、冬は寒いので、手放せなくなってしまうのだ

あたたかさの代償が大きくても、手放せなくなってしまうのだ

あたたかさの前では、手前勝手の神経症など無意味と成り果てる

 

くらくらする

猫しかいない、人間は家の中にいない

私の意識を映す他人はこの空間にはいない

安心する、くらくらするほど

結局、配偶者として選んだそのひとも、私の内側のひとではなかった、私はそれをわかっていてそのひとを選んだし、承知のことで、私が内側のひととして意識した他人はことごとく私を見なかったので、しかたのないことだった、そういう人間を次に見つける前に私は今のひとと近づいてしまったので、引き返す理由は(それ以外に)なかったから、ここに住めていることに不満もない

 

ただ私は伴侶の前でさえも、なんでも言いたいことを言うなんにもしない妻という装いをしているふしがあり、やりたいようにやっているはずに、ほんの僅かの乖離を認めてしまう

私は私がやりたいことをきちんとわかるのがとても下手糞なのでそれだから欲望の発露が雑でそれでも見当外れというわけでもなく欲望は満たされるから表面上それで済まされてしまうけどそこのズレは他人にはわからなくても自分は気付いている

ズレの蓄積に耐えられなくなる

しばしば不定愁訴に陥るのはこれだと考えているけど、もう、手癖として染みついてしまっているのでどうしたらいいのかわからない

時々ちゃんと自分の世界に入るように活字で読書ができればいいのだけれども、読書の筋力が落ちているので少しつらい

もう少し運動していれば良かったかもしれない、わからないけれども

 

瘡蓋がはがれて生乾きの傷跡が剥き出しになっているような気分が停滞していて、それは変わらないのに自分の意識を反射させる人間がいない状況に安堵の味を覚えるものだから、こんなところに安らぎめいたものがあったらとても困る私の幸せを壊すつもりかと芝居掛かった打算が一丁前の口で非難を寄越す

 

猫が玄関や窓のあたりをうろうろとして不満げに鳴いている、自分の給仕係兼寝床係がいないことに気付き腹を立てているのだろう

 

 

羨望

一年ぶりと言っても差し支えない記事の投稿である

わかりやすくイベントが起こったのでほれきたとばかりに投稿ボタンを押下した次第である

以前、性交渉したり旅行をしたりした相手のブログをRSSで受信して更新のたびに目を通しているのだが、このたび、「結婚しました」というタイトルでプラチナの指輪をはめた男性の手と女性の手の写った画像とともにブログを投稿していたのだ

良かった、別れなかったんだ

あとからやってきた感情が強すぎたので今日のことだというのにおぼろげだが、おそらくこれが最初に頭に浮かんだことだと思う

前回の記事が折角親しくなった異性ができたばかりだというのに遠方に転勤の辞令が出てしまったと考えあぐねているようすだったのだ

この投稿を見た段階で、結婚するんじゃないのかなとは思っていたのだ

思っていたのだから、もう少し感情の波が穏やかでもよさそうなものなのだが、私は完璧にショックを受けていた

そうなるか、そうなってしまうのか、と自分自身に多大なる辟易を催してしまい、仕事中にfeedlyを覗いて閲覧した情報だったのでそれ以降ほとんど仕事に手がつかなかった(さしあたって急ぎの仕事がなかったので影響はなかったがだからこそこの状態に陥ったともいえる)

 

交際相手として認めた異性の数は我が人生でわずか三人という少なさでそのうちの一人は配偶者なので残りは二人となりそのうちの一人が彼なのだがこの男は私が生涯で初めて性交渉を持った男だ

なので、おそらくそれなりに思い入れがあったのだろう

別れ方も、前の女が忘れられないとふられたので、納得がいかないまま関係の終わった人間という印象が強い

そういう人間については、あまりおおっぴらに認めたくないことではあるが、どうやら私は不幸でいてほしかったのだとおもう

交際を解消してからもほそぼそと彼のブログを閲覧しながら、幸せになってと思っていたつもりだったが、それは大きな間違いだったようだ

彼が幸せになろうとしている、いや、(新居からの眺めはスカイツリーが見られるなどという文言を見る限りはすでに)幸せになっている証左を発見するにつけ、圧倒的勝ち組と吐き捨てたい気持ちにかられてしまったのである(こういうときはなぜか自分がまだ独身であるかのようなマインドに錯覚してしまう)

そんなに?そんなに幸せを願いたくない相手だったのか?

それはちがう

恐らく、私は私が彼にそぐわなかったことに後悔がくすぶっているのだ

でも今の私であればいざしらず、当時の幼稚な私に彼との関係が続けられるはずはなかった

なんなら、始まりからおかしかった

からしかたなかった

しかたなかったにしても、後悔してはいけないとか感傷に浸ってはいけないなんてことはないのではないだろうか

 

婚姻関係を結んだと知った今夜、私は、彼に言いたかった

お祝いを、おめでとうを言いたかった

ブログのコメント欄で共通の知人だったひとが祝いを伝えているのを目にする

うらやましいと感じる

伝えられることが、受け取られることが、うらやましいとかんじる

 

関係のない他人が届かない祝いを自発しようともそれはただの自己満足でしかなくて届かない感情の拠り所の無さは悲しくさえあるのではと自嘲するのだ