楕円偏光

elliptic polarization of light

模様

薄情な人間でいたくはない、身近の他人に薄情と思われたくないという考えに占拠されてしまうことがあり、自分が薄情だとなかなか認められないことがあるが、そうとはいっても、私は薄情な人間だと思う

昨年一月、Twitterと距離を取ることにした

三が日から調子が悪く年賀状の返事もこの年ができなかったので、やめることにした

年明けの仕事始めで一週間ほとんどまともに寝られなかったということがありそのとき心底滅入って、生活のスタイルを見直すべきなのかもしれない、依存しがちなインターネット閲覧を制限すれば多少の改善も認められるのでは、と考えたうえでのことだった

あとは、ザラリ・ズルリと名乗っていたが、このキャラクターの始まりが失恋によるものということもあり、ここのところはすっかり猫アカウントと化しているが、女々しさのこもった始まりのこのアカウントを名乗ることに抵抗のようなものを感じていたため、そろそろ潮時なのではないだろうかと思っていたことも理由の一つにある

自業自得なので致し方がないし理解に苦しまれるかもしれないが、はてなブックマークの利用停止措置を受けて大いにショックを受けて、立ち直れない、もうtwitterに復帰するような気持になれそうにないというほど落ち込んだ

これについて書くためにはてなからきた通知メール見たりしたらいまもつらい気持ちになり詳細を書こうとしたがだめだった

個人的にはtwitter以上に気に入って使っていたので、大変なショックだった

はてなのアカウントもすべて消したいくらいつらかったけれど、ブログでもらったスターさえ消えてしまうのがつらくてこらえた

また、ハロープロジェクトこぶしファクトリーというグループの解散もまた、私の落ち込みに拍車をかけた

あまりハロプロには思い入れのなかった私だが、twitterのフォローしているひとのなかにアンジュルム船木結さんをとても熱心に応援しているひとがいてそのようすを見ていて、私も船木さんが大好きになり、その流れでハロープロジェクト全体に思い入れが深くなっていた

このときの私を元気づけてくれたのが、モーニング娘。20、アンジュルム、juice₌juice、つばきファクトリーこぶしファクトリー、BEYOOOOONDSだった

YouTubeでライブ映像を見て涙したり、MVのパフォーマンスに魅了されたり、つんく♂をはじめとする多くの作家さんの作る楽曲に惚れ惚れし、正常に感情が高揚することを認識させてくれるありがたい存在だった

同年二月、体が重くて朝起きられないので、熱めの湯船につかって少しでも体を動かせるようにして、自転車を運転するとふらついて不安なので、配偶者に車で会社まで送ってもらっていた

体を引きずって仕事をしている感覚だった

三月は繁忙期だったので、上記のショックな出来事も重なって、来年も増員がなかったら本当に仕事をやめたい、人間関係がよくても体がもたないと深刻に考えていたが、そんなことを知るはずもない上司から一般職に転換できる試験をうけられるから受けないかと話があったりした

上司からしたら、契約社員として申し分ない働きをしてくれているので安定する一般職になれるほうがいいのではないかという考えなのだが、そもそも試験を受けるほどのモチベーションがないし、しかも自分でなりたいから今の仕事とは別にこれからこんなこともしますって仕事を増やすことを申告させられるし取締役との面接もあるっていうしやりたいはずがないという気持ちだったので丁重にお断りした

同年四月頃は、緊急事態宣言の発出により、在宅勤務があったりして、しかし会社イントラでしか使えないようなシステムや、家のディスプレイと会社のパソコンの相性が悪かったりして、家でできる仕事はほとんどなく、ほぼほぼ寝ていた

当時、半日働いただけで疲れ果てて正常な判断ができないような状況だったので、たまにメールをチェックしてそれについて電話で指示を受けたりするだけで事足りていたので、会社でしかできない仕事ができずそれについてジレンマはあったものの、これは私にとってはとてもありがたかった

歯科に行って検温したら37.1とかだったりするから歯科助手のおねえさんをとても困らせた、常にのぼせていた

市内の実家にいる母が要介護2の状態になって粗相用の下着をつけるようになっており、世話をしている父がたいへんそうだった

いずれ私がしなければならなくなるのだろうかと途方に暮れた、実家に行くといつも具合が悪くなる

七月、スピッツが地元に来るコンサートがありチケットを取っていたが、延期となった(これはその後中止となってしまった)

同年七月末、YouTubeで整体院の先生が紹介していた簡単なツボ押しのようなもので一時的であったものの劇的に体調が回復した経験があったことを思い出し、もしかして整体か整骨院かにいったらいいのだろうか……と検索をして自律神経失調等にお悩みのかたにとでかでかと書かれたところを発見したので、もう最後の手段だと、見つけた整体に通って高額の支払い(一回8000円くらい)をしたりしたが、最初こそ自分の体の悩みを聞いてもらったことに安心して情緒を乱してしまうほどだったのに、通えば通うほど良くはなってるけどよくなりきってない、という中途半端なかんじで、最初に5,6回くらい通ってもらえれば治りますと朗らかに断言されてたはずなのに思ったのと違うとおもったのでそこは7回ほど通ってそれきりになった

九月に地元でフリーライブがあり、奇妙礼太郎とさとうもかを目撃した、素敵な体験だった、同日の四星球も観覧したかったのだが体力がもたずその場を離れることになった

十月、衝撃が走った

津野米咲が急死したのだ

赤い公園は前の年の十二月に地元にライブに来ていて直近のシングルが非常に素晴らしく是非生で聞きたい、石野理子の唄を聞きたいと、とてもいきたかった、けど体調が思わしくなく、泣く泣く断念したのだ

私と津野米咲の出会いはSMAP「Joy!!」だとおもう

そのときのSMAPはいろんな若手のアーティストから楽曲提供を受けていてそれを知るのも楽しかったし、この曲はひときわ異彩を放っていた

それから赤い公園を知って、アイドルネッサンスを知って、新体制の赤い公園を知って、とても好きになった

絶対零度を聞いたときは、強く激しい美しい音楽センスをかんじた、もっともっと津野米咲の創造する音楽を聴いていたかった、この気持ちが彼女には重荷だったのだろうか……

とてもとてもつらかった、メンバーの言葉を読んで、何度も泣いた

それからは体質を変えなければいけないのだと今まで会費を払うだけになったりしていたジム通いを熱心におこなうようになり、週の平日に三日程度通ったりしていたと思う

その成果もあってか、劇場に足を運んで鬼滅の刃を見たりする体力を獲得することができた

十一月、待望の増員が叶った、これで来年の三月は安泰……と思っていたのもつかの間だった

十二月、平日しか通わないので今月は休日が多いからとジムを休会にしたりしたのがだめだったようで、メニエール病未満を発症した(医師には病気と診断する手前のような言い方だった)ため、仕事を一週間ほど休んだ、復帰したあとも出勤を遅めにしたり薬をたくさん飲んだりした

 

というかんじで、去年は最初から最後まで全体的な調子がグダグダだった

家族がひとり猫がふたりいないと乗り越えられないしんどさだった

私は恵まれていて運がいいとおもう

運がいいだけの人間だ