楕円偏光

elliptic polarization of light

狷介

水道水をめいっぱいに入れたケトルのスイッチを入れてお湯を沸かし料理に使うのではなく飲み物に使うことに余念がないほどには気温が下がったことも災いしてか隣人が咳のみが執拗に続く感冒を患っているのだが、それに引き摺られてか身体の寒気を見て見ぬ振りができない自分が強火になっているこたつの布団にかじりつき使い捨て衛生用マスクに顔をうずめて沸騰水で溶かしたレモン味の飲料を入れたマグカップに口を付けている。

 

今夜は早めに就寝しようと心に決めて毎晩ついつい夜更かしに精を出してしまったつけがここにきて悪影響をあらわにしてしまったのだろうか。背中の中心あたりから首の後ろにかけての部分が硬直してしまったのかのように重く全身へとだるさをばらまいて体調についての不調を熱心に訴えるのである。

 

月末には冠婚葬祭行事がひとつ控えているのでこのまま不具合を悪化させるわけにはいかないが十代の頃のように治癒能力が発揮されないこともここ数年の病歴から見て取れるのでそれを思っても憂鬱な気分が到来し積極的な姿勢をとる士気が失われていくのだった。

 

母方の祖母について病院から連絡があったと報せを受ける。意識が途切れることが増えてきたので覚悟してほしいという内容だったらしい。特に感慨もない。祖母にはよくしてもらった筈なのだが、母親と祖母との関係を母本人から何年も言い聞かせられてきた立場としては、そして母方の祖父が亡くなったとき以来、祖母とまともに対面していないことも手伝って、孫としては少しどうかしているのかもしれないと危惧してしまうほど無関心で自分としても薄情な人間だと思わずにはいられない。これに限らず親族には概ね薄情なので自分としては珍しい感情のようすでもないことから特別視はしていないのだが真っ当な関係を築いてきた家族にありふれた悲痛の体験が得られないことについてはいささか残念なきもちを思わないこともない。そうとはいえ、今まで生きていた姿を見知った人間が不動で等身大の箱におさまったようすを見ればショッキングを感じる程度には血も通っているのでそのときの心の動きについては入念に点検しておきたい。祖父は母の実父ではなかった。義理の祖父であったので、もし祖母が逝去したおりには正真正銘の血縁を亡くすことになる。その事実に立ち会う残された人間たちのひとりとしては、幾分真面目な心境も訪れるのではないだろうか。

 

市販の総合感冒薬の味が不味いと甘党を自負する隣人が言及するのには取り合わず、冷蔵庫に買い置きしていた缶入りアルコール類を消費したはずなのだがそれはいつかの睡眠上での臨時体験においておこなわれたことであったらしく今し方在庫を確認してその体験の虚実を認識したと報告する。薬からはほのかにシナモンに似た香りが漂うので廉価の赤ワインを電子レンジであたためて蜂蜜を入れただけの即席で飲むホットワインを連想する。夕方、自家用車ででかけた際にいつもすわる助手席ではなくて後部座席に腰を下ろすと少しだけ良家のお嬢様になった気分だった。今月の末日に執り行われる挙式において白色の貸衣装を身につける自分にはお目通りすることがためらわれてしかたがないのだということも隣人と過ごす日々で誤魔化されてしまうので、不機嫌な指先が抵抗してしまうのではないかとほのかに怖ろしいからペンを握って手帳に走り書きをする習慣を思い出しておこうと心に致す。桜が狂い咲く秋に。