月影
今年最初で最後のはてなブログの投稿になった
もう少し書けたら良さそうなのに
昼間に赤ワインに適当に蜂蜜とオレンジジュースを入れて電子レンジであたためたのち香りづけにシナモンパウダーを振ったものを飲んだのだが、先程同じものをもう一度飲んだ
しかし赤ワイン自体のアルコールがもうだいぶ飛んでしまっていたのだろう、電子レンジから取り出した直後に飲んだときは勢いよくアルコールが喉元に飛び込んできたのだがちびちびと飲んでいるうちになんてことない葡萄の皮の味の甘い飲み物になってしまったし特にほろ酔いという状況でもない
日中は家に引きこもり二十年前頃のアニメーションを見ていた
いまどきのアニメでは考えられないが全部で39話もあったので視聴に骨が折れた
見終わったあとは特に起きるのが早かったわけでもないのに強烈な睡魔に襲われて小一時間こたつでうたた寝をしてしまった
その前に別の作品の漫画で期間限定で1巻から3巻まで無料で読める作品があったのでそれを読んで多少疲れていたのもあるかもしれない
こちらは続刊も気になるので読めないものかと地元の市立図書館の蔵書を検索したところ4巻までしかヒットせず落胆した
電子書籍で購入してしまえば今すぐ読めるし場所も取らないという利点があるがこういう作品は手元に紙ベースで置いておきたいという気持ちが先行して保留になっている
うたた寝して起きたとき、寝る前より暗くなった東側の窓に光が透けてるのが見えた
この位置には街灯はないはずだから月が見降ろしているのではないだろうかと予想して窓の鍵を解いて外を眺めたらその通りだった
くっきりとした月の姿のまわりに靄のように流れのはやい雲がまとわりついている、この窓は磨りガラスのようになっているため窓を開けなければ光の正体が月なのか判明しなかったから仕方がないのだが当然のように季節通りの風が室内に入り込み寝起きの頭を刺激してきた
寝て起きたときに月が近くの窓から見えると運命的な気分になる、ぼんやりとしてしばらく夜風の冷たさに気を留めないふりをしていた
今年の誕生日は生まれて初めて婚姻関係のあるひとと一日過ごすことが叶った
婚姻関係のない別のひとであれば誕生日を一緒に過ごしてくれたひとが一人いたはずなのだがどういうものであったかまったく思い出せないのでびっくりした
そして一日過ごしたが、家人が職場で報奨としてもらってきたホールケーキにロウソクを3本立てて祝った以外にはまるっきり他の休日と変わりなかったので、しかたないにしてももう少し何か考えてほしかったという気持ちがした、そうは言っても激務でそんな暇など微塵もなかったし毎年そうなので一緒に一日を過ごしただけでも儲けものという気分もあるのだと言っておきたい
前もって何か予定を立てていても良かったのだが、直前まで勤務が確定してなかったため、予定を立てておいておじゃんになってしまったらだいぶつらそうで怖かったというのもあった
この一年は、職場の隣の席の女性と誰よりも一緒に過ごした一年だった
もともと仕事で一日8時間一緒にいたのに加えて四月から一緒にスポーツクラブに入会したので土日のどちらかで数時間顔を合わせていた
予想はしていたが途中から苦痛になってしまい、どう断ろうかとそればかり考えていた
スポーツクラブでのプログラムも最初は目新しいものだったが次第に継続することに怠け癖が勝てず、平日に仕事が終わったあと数時間自分一人でクロスランナーで走ったりウエーブリングやストレッチポールを使って体をほぐしたりすることしかしなくなっている
月に6000円も払ってする内容ではない……
そう考えて少しでも会費の元を取らねばと、冬場限定になりそうだがサウナを利用することにした
自転車通勤で運動した後にスポーツクラブ施設から自宅まで帰るのがややこたえていたがサウナに入るようになって寒さからは解放された、だいぶぬくいまま自宅までもつので早く気づけば良かったと思ったほどだ
時々やめたいと思うが、よく精神的に参る自分にはこうして運動する習慣を無理にでもつけておいたほうがいいのではないかと説得してなんとか思いとどまっている
問題は、あたたかくなってから職場の女性との土日の通いをどう断るか……それともあたたかくなれば自分の気分も前向きに変わっているのだろうか
ところでそろそろスマートフォンが寿命である
nextbit robinを使っているが、電池の挙動がだいぶおかしい
おそらく電池が寿命なのだが、交換手段がない
電池交換さえできればもう少し使い続けていきたいのだが……買った会社がもうないのだからしかたない……
また新しい携帯電話をさがしたい
オーブントースターが5分の目盛りのところで勝手に火が落ちるようになっていることが数カ月前に判明したので新しいトースターを探しているのだがこれがなかなか決断できかねているのでちょっとめんどくさくなっている……
もう有名なアラジンでいいじゃないかと決めかけていたのだがラッセルホブスの新型もかっこよくて気になる……デロンギもなんだか気になる……と目移りがとまらなくなっていて、この3機種がすべてそろっている家電量販店が地元にない、品揃えが悪い
一緒に電気ケトルも買ってしまいたくなっているのでまた悩む要素が増えてしまっていて悩んでる時間だけが勿体無いという我が家にありがちな状況になってしまっている
こうして一人でブログを書いてる時間が好きだ
あまり書いてないのにそう思う、落ち着くということだと家人といるより一人でいるほうが優っている
私のことだけ考えていられるから気が楽なのだと思う
他人が近くにいると他人のことを考えなければという気持ちが強いタイプなのだろう
だから、実は、こうして年末に家にいない配偶者について、あまり寂しいと思っていないし、むしろ好都合だと考えている
子供がいたりしないからだろう、世話する人間がいたらまた別だと思う
テレビをつけずにいられるし
テレビはつけないほうだったが、chrome castを買ってから動画をテレビの画面で流すようになった
今年の誕生日前後は職場の人からたくさんプレゼントをもらったことは記しておきたい、なんだか感謝を忘れそうだ
隣の席のアラフォーさんからはショートケーキとマグカップをもらった、ショートケーキは二人で仕事中にこっそり食べたのだが絶品だった
マグカップは少し前に香典返しのカタログで二人で見ていてかわいいですねと話していたものだったのでとてもびっくりした
そういった、日々の会話のなかでこちらの趣味を探ってプレゼントを贈るというような芸当ができる他人があまり身近にいた経験が少ないので、そういう経緯で贈り物が選べるということに心底尊敬したしこんなひとが母親で本当にうらやましいなとお嬢さんを羨んだ、こんな女性が母親だというのは娘という立場からどれだけ恵まれたものであるか彼女は分かりもしないだろうな、と屈折した気持ちもこういうことがあるたびに浮かんでは消えている
同じ部署の部長からも別の日にスフレのショートケーキの差し入れがあり、また別の日に仲良しの別の階の課長さんからプリンの差し入れがあり、その課の仲良くしているこちらが誕生日を祝ったことのある新卒の女の子からチョコレートと直筆のお手紙をもらい、また別の日に毎朝新聞を社長用にうちの階まで届けてくれる別の課の派遣の女の子から休日をこんな風に過ごしてほしいと無印のバウムクーヘン、ルイボスティー、レトルトカレーをもらった
後半のプリンのあたりから、あまりこういうことに慣れていないため、何かをもらうということが怖くなってきて上手に喜べなくなっていたが、嬉しいことには違いなかった
こんなにプレゼントをもらった年は久しぶりの気がする
誕生日は祝われないようにできるだけ言わないように過ごしているので……いままで祝ってもらっていたひとから祝ってもらえない関係になっていることを思い出すし、家人に祝ってもらえるだけで十分とおもうのだ
これは卑屈でしかないが、私などを祝う労力は使わないでくれと思う
あとこれは言い訳で、あなたの誕生日おぼえてられないかもしれなくて怖いからこっちも祝わないでね、という気持ちも、ちょっと
いま思い出して有り難かったことだ……と感謝の念がよみがえる
おうちのひとはいつ帰ってくるだろう
温習
誕生日を日々のせわしなさに忙殺される感覚をおぼえてみたい
当日は夫が毎年仕事なので、前日に休暇を取って外食したり映画を見たりした
祝日のきょう、だらだらとひとりで過ごした
最終的にハードシードルを飲んで日付がかわろうとしている
男から連絡がくる
他の女の知り合いからも3人くらい電子メールで連絡があったあったが、感謝しなければという義務感がぬぐえない
文字だけの会話なのにこの男との会話はひどく落ち着く
おめでとう
何歳だとおもう?
おぼえてない
あててみろ
このくらい
おぼえてるじゃないか
おぼえてない、大体だよ
嘘でもおぼえてたって言えよバカ
このひとの前でいる自分は口のききかたや意地がひときわ悪い、だが、この自分が好ましいと感じる
それは、ただの、思い違いなのだが
あまりよくないことなのに、ただの懐かしさなのに、責任を転嫁できるようにこのハードシードルの封を切ったわけではないのに、不本意が辻褄をあわせることをとめられないのだ
夢中
2リットルサイズのペットボトル入りの水をコップにそそぎもせず口飲みしながら特段の事情もなく深夜に食い下がる
私には夫が一人いる
その夫はすでに明日の労働に備えて布団を目深にかぶって夢の中
夫の寝室から居間が見えるので、頭部の鼻から上を寝具からのぞかせた状態でこちらをいたずらっぽく寝る間際に中年の男性がこたつに構える中年の妻を凝視してきたりする、愛らしいかぎりだ
我々は寝室を別に持っている
時々、片方の部屋に二人で寝たりすることもあるのだが、基本的にはそれぞれで寝ることが多い
冬の季節は寝る前に妻の布団に二人でくるまって私のために毛布をあたためてから夫が自分の部屋に戻って寝るのだが、なんとも甲斐甲斐しい
結婚する前、まだ交際していたときは慣れていなかったからなのか男性との交際が久しぶりだったぶん人肌が刺激的だったこともあってか、一緒に寝るのが心地好くさえあった記憶があるのだが、いまとなっては一人用の寝具で大人ふたりは寝苦しいということが先立ってさっさと出て行ってほしいと率直に追い払ってしまうのでなにやら座りが悪い気分がする、(夫も妻に従順なので何の不満も文句も漏らさず自室に帰ってしまう、)ふと現況を述べるとなんだか愛情の不足を思わずにはいられない、もっと自分の感情は継続的に夫を愛撫するものと考えていたのだが子を孕みもしないうちからそうもいかなくなっており心外極まりない
交際が始まって初めて一緒に寝たのは私が一人暮らしをしていたときのアパートでだった
どういういきさつだったかはもう忘れてしまったが、私はそのとき、人間の男が欲しかったのだと罪悪交じりに述懐した、勢いで交際が始まったこのひとはすぐに縁が切れてしまうひとなのかもしれないが、いまこのときここに成人男性が必要だった、私には身体性に訴える圧倒的な動物が必要だった、そしてその潜在していた欲求を確実に満たすものを私は手に入れたのだ、束の間の充足なのかどうかは知れないことだが……
私は人間の女で女は平均的に男より体格が貧しく筋力も低い、なので、圧倒的な腕力を持った男と言う生き物に大人しく(ただただおとなしく)寄り添ってほしかったのだ、体温を持って皮膚をさわってほしかった、寝るときに安心したかった、ずっと安心できなかった、いまは安心だ、この安心がいまだけじゃないといい、郷愁とは程遠い知り合って間もない他人といるのに懐かしくて安らげて短い睫毛を伝って涙が出る、泣けてきてしまう、混乱して動転してそれなのにうれしくて、いいのか?いいのか?と誰に問うているのか許可を求めているのかわからない問いかけが何度となく通り過ぎていく、そういう凡人がいうところの幸せらしきものが私を形容してしまう空間が部屋に限りなく高い密度で充満していた夜だった
あれから4年か5年経つ
いつも迷っている
このまま夫婦でいていいのか
私は本来一人で生きて一人で死ぬのがふさわしい性質なのだ、他人の面倒を見られる器はない、だから夫に苦労をかけてばかりだ、自分を生かすことに疎かが目立つ生活しかしてこなかった癖がいまだに矯正できておらず夫が妻を扶養しているといっても過言ではない、甘え過ぎている
私は夫に甘えたくなくて離婚したいとよく考える
私といると夫は私の面倒を見て私の世話ばかり焼いてしまう、夫を疲れさせてしまう
それでも多分、これまで暮らしてきたようすを見ると、彼は私との生活が楽しいようだ
こんなにこき使われているのに、ドMとしか思えない
結婚前に、自分以外のためにお金を使いたいと言っていたので、それが楽しいのかもしれない、夫は普段そこまでお金を使って何かを買うことがない、趣味の競馬もお金を割高につぎ込むのは1年に一度きりだ
時折、夫の目線の私を想像する
かわいい?とよく聞いてくるし感情的だしよく落ち込むし自堕落だし料理しないし掃除も時々しかしないし洗濯ものはたたまないのがデフォルトだし……なんだろう、この女すごい……すごい程度が低い……
偕老
夫婦が題材の中心にある映画を見るのが続いている
そして父になる、ぐるりのこと。、さよなら渓谷
自分が当事者の立場を経験していることもあってか、子供の頃はこんなの見てもよくわからずに、そういうこともあるんだーへーあっそうー、で終わっていたものもひきこまれて見られるようなきもちがする
さよなら渓谷は特に感じるものがあったのか、図書館で原作の予約をした
悪人の作者らしい、少し楽しみだ
改めて見てきたラインアップを眺めるとどれも陰気な映画だな
気になったのがどれもわりと男側つまり夫のかたが頼りないというかどこか欠けているというか女の人の足を引っ張っているような描かれ方だった気がする
さよなら渓谷以外は鮮明におぼえてないのだが
世の中の男の人が全員がこうとは勿論思わないのですがそこまでクズっぽいひとばかりとりあげなくてもいいのにな……という気持ちもする
なんなら、さよなら渓谷のなかの大森南朋もクズっぽい夫の役だ、もろDVしてる……でも最後は主人公に感化されたのか妻に対して優しい扱いをするようになっているがその後どうなったんだろうか気になるのは主人公もそうだがここの夫婦も大概……
上にあげた映画の夫婦のなかで唯一安心して見られたのは、そして父になるのリリーフランキー×真木よう子の下町夫妻だ
選んだのがそうだったというだけなのだが我が家の夫は非常に気がきいてちゃきちゃき働いて外でもよく働いているのに家の中でも妻の自分との家事の比率が夫:妻=7:3くらいだし自分の見る目の素晴らしさを日々感じている
最初はそうだったけど段々そうじゃなくなるよねと思いながらそれは自分のことだった……と座りの悪い気分がするというのが交際を始めた頃はよく料理をしていたのだ、相手が自分の家に来ることが多かったし自分が一人暮らしだったのもある、それが現在完全に逆転している
我が家の怠慢な妻が夫を間近で見るに、この夫は不変であり続けそうなのでこれからも経過観測につとめたい
年齢としてもそうだからそうなのだが結婚がどうの夫婦がどうの男女がどうのという話題によく目がうつる、自分の意見を他人に提供したり他人の意見を自分に反映したり聞くだけ聞いて聞き流したり、自分はある程度経験者という立場になってしまうので未経験者のひとに何かを言う立場にはなくなってしまったような気がしているのもありつつ世の中は客観と主観がゆらいで客観に支配されているひとがたくさんいる気がするし他人をコントロールできると思っているひとがたくさんいるんだとも驚いている
我が家は機能不全に陥らずに済んでいるがそれはひとえに夫の努力のたまものだ、妻は外で働いて無駄金をつかわずいるというだけである
我々が男女の仲になったのも自分が話を持ちかけたからだが夫が女に過剰な期待を持っていなかったことが長続きした重要な点ではないかと考える
我が夫は家事もするし体力もあるし性格は穏やかだし酒とたばこはしないし競馬はするけど一年に一度遠出して競馬見に行くくらいで普段は競馬番組で楽しんでるし妻の癇癪に寛容だし妻の送迎もすすんでするし食糧の買い物もしてくれるという奇跡のような出来た人間なんだけどよく結婚してくれたものだと感慨深い……女あさりを良しとしないシャイな性格だったから売れ残ってくれていたのは良かった……
このような縁に出会う女性はまれらしい、自分は非常に幸運な女性だという自負がある
そうなのだからもう少し夫を粗末に扱うことをやめるべきなのだ……感謝しているのなら……
明日は夫の誕生日だ
葬送
祖母が亡くなった
母方の祖母だ、自分は彼女から名前の一字を頂戴している
そして彼女以外の祖母、つまり父方の祖母は自分が生まれる前に亡くなっているので実際におばあちゃんとして慣れ親しんでいたただひとりのひとだ
二十八日の早朝に息を引き取り、二十九日の晩に通夜、三十日の正午前頃から葬儀と、冠婚葬祭が今年度はあわただしいかぎりだなあと思わずにはいられない
残念ながら彼女に特別に心を砕いて気落ちするような関係性は現在すがたをなくしてしまっていたので、大袈裟でなく悲壮感はなりをひそめている
ただ近親者として思うこととして相応しいのかよくわからずに、彼女の最後の意識について思いをはせたりはしてみたりもした
認知症をわずらっていたので、最後は何を考えながら息をひきとったのだろう
孫である自分や弟のことはよぎってはいないだろう
祖母は母を一度育児放棄していると母から散々きかされていたけどそういう間柄の母に入院生活を看病されることについてはどう感じていたのだろう
自分の死後の財産に娘がすがっていることについてどう思っているのだろう
云々
老人が生を全うして目を閉じて動かない姿には何の未練も後悔も辛苦もない
これだけ生きて満足だっただろう
彼女はこどものころ、どんな子供だったのだろう
そして、娘盛りのころは、今の自分の年頃のときは、何に心を移す少女であり、女性であったのだろう
背景が見えないままだった気がする
このひとは生まれた時から老人だったわけではないのに、自分は身勝手にそう解釈していてそこから自分の発想を動かすつもりがないのでなんだか素っ気無さに無情だとなじりたかった
確実に血を受け継いでいるひとがなくなったというのに
もうすこしドラマティックな感情にはならないものなのだなと、自分を買い被る
昨日の朝は雨が降っていて、葬式の進行をしてもらった女性が上手にそれをマイクで話に交えていた
母には少しショックだったのだろうな、母に気を遣う自分が想像できなくてなにをしたらいいのかよくわからなかった
何かおいしいものをもっていってあげたらいいのだろうかと思うがあの年代はなにがすきなのかいまいちわからない
火葬場には猫がいた
泣きはらした顔を無防備にさらして呆然とした様子で親族につれられる若い女性もいた
遺体を焼いたあとに残った骨があまりにも脆い、こんなにも脆いものなのだと感心した
これからいろんなひとが死んでいく、そういうことを受け止められるようになっているのか不安だ
自分は、強くなろうとしなかった人間にほかならないからだ
狷介
水道水をめいっぱいに入れたケトルのスイッチを入れてお湯を沸かし料理に使うのではなく飲み物に使うことに余念がないほどには気温が下がったことも災いしてか隣人が咳のみが執拗に続く感冒を患っているのだが、それに引き摺られてか身体の寒気を見て見ぬ振りができない自分が強火になっているこたつの布団にかじりつき使い捨て衛生用マスクに顔をうずめて沸騰水で溶かしたレモン味の飲料を入れたマグカップに口を付けている。
今夜は早めに就寝しようと心に決めて毎晩ついつい夜更かしに精を出してしまったつけがここにきて悪影響をあらわにしてしまったのだろうか。背中の中心あたりから首の後ろにかけての部分が硬直してしまったのかのように重く全身へとだるさをばらまいて体調についての不調を熱心に訴えるのである。
月末には冠婚葬祭行事がひとつ控えているのでこのまま不具合を悪化させるわけにはいかないが十代の頃のように治癒能力が発揮されないこともここ数年の病歴から見て取れるのでそれを思っても憂鬱な気分が到来し積極的な姿勢をとる士気が失われていくのだった。
母方の祖母について病院から連絡があったと報せを受ける。意識が途切れることが増えてきたので覚悟してほしいという内容だったらしい。特に感慨もない。祖母にはよくしてもらった筈なのだが、母親と祖母との関係を母本人から何年も言い聞かせられてきた立場としては、そして母方の祖父が亡くなったとき以来、祖母とまともに対面していないことも手伝って、孫としては少しどうかしているのかもしれないと危惧してしまうほど無関心で自分としても薄情な人間だと思わずにはいられない。これに限らず親族には概ね薄情なので自分としては珍しい感情のようすでもないことから特別視はしていないのだが真っ当な関係を築いてきた家族にありふれた悲痛の体験が得られないことについてはいささか残念なきもちを思わないこともない。そうとはいえ、今まで生きていた姿を見知った人間が不動で等身大の箱におさまったようすを見ればショッキングを感じる程度には血も通っているのでそのときの心の動きについては入念に点検しておきたい。祖父は母の実父ではなかった。義理の祖父であったので、もし祖母が逝去したおりには正真正銘の血縁を亡くすことになる。その事実に立ち会う残された人間たちのひとりとしては、幾分真面目な心境も訪れるのではないだろうか。
市販の総合感冒薬の味が不味いと甘党を自負する隣人が言及するのには取り合わず、冷蔵庫に買い置きしていた缶入りアルコール類を消費したはずなのだがそれはいつかの睡眠上での臨時体験においておこなわれたことであったらしく今し方在庫を確認してその体験の虚実を認識したと報告する。薬からはほのかにシナモンに似た香りが漂うので廉価の赤ワインを電子レンジであたためて蜂蜜を入れただけの即席で飲むホットワインを連想する。夕方、自家用車ででかけた際にいつもすわる助手席ではなくて後部座席に腰を下ろすと少しだけ良家のお嬢様になった気分だった。今月の末日に執り行われる挙式において白色の貸衣装を身につける自分にはお目通りすることがためらわれてしかたがないのだということも隣人と過ごす日々で誤魔化されてしまうので、不機嫌な指先が抵抗してしまうのではないかとほのかに怖ろしいからペンを握って手帳に走り書きをする習慣を思い出しておこうと心に致す。桜が狂い咲く秋に。
清和
四月末に職を辞する前の有給休暇二十日分余りから、誇れるほどではないにしろ程々に職業安定所に赴いては求人情報を品定めし紹介状と履歴書を持参して正装で企業に赴くなどの活動を数回しているが、思ったとおりそう快い返事を方々から受けられるはずもなく、数だけこなしている中でも欲目が出てきてしまい破れかぶれの精神も在庫切れを起こしている最中だというのに、隣人は不採用の通知を目の当たりにするにつけ、気長にすればいいと念押しのためなのか何度も繰り返しこぼすことが私を甘やかしているということにいつになったら気付くのだろうかと立場もそっちのけで呆れている
そのような折、母から電話を受ける
母の日に際しての贈答品が無事に到着したので御礼をよろしくとのことだった
晴れの日がよく続いたので洗濯には精を出した
風呂の残り湯を桶で掬ってバケツに入れそのバケツの水を洗濯槽にぶちこむという作業もバケツに水を入れ過ぎると持てなくなってしまうのでその線を見極めてからバケツの持ち手に手をかける
洗い終わった服を針金の衣紋掛けに通す際に隣人であれば隅々まで両手で引っ張りながらしわをのばすという一手間を欠かさない訳なのであるが私は懶のたちであるので極度のものでないかぎり手を加えない
その懶のご多分に洩れず、備え付けのクローゼットに衣装の収納に使っている半透明の蓋つきの箱があるのだがその中の衣装のありさまたるや凄まじく衣類の地層ができあがっているといっても過言でないというものなので、以前から隣人の手伝いを得て部屋を片付けるにしてもその一角は手を触れずにそのままでおかれていたのだが、今日は何か虫の居所が良かったのだろうか、折角新しく購入した円形のラグの上に所狭しととっちらかっていた洋服もまとめてその衣装収納のなかの一枚一枚の服を整頓するという快挙に至った
労働を終えて買い物まで済ませて帰宅した隣人を出迎えるにつけその快挙についての目撃を促し、彼はいつも通り片手を私の頭にのせて抱き寄せながらよしよしと母親の所業でおこなうのである
自室の自分の持ち物である服飾の整理などというできて当然のことをこうして褒めてくれる隣人のことを慕わないわけにはいかない
交際相手が役所に届を提出して新たな生活が始まってから性格がすっかり変わってしまったというようなことをよく聞くので我々の間にもそういった了解を誤認してお互いの神経を磨り減らすといったたぐいの摩耗が発生するのだろうか、このひとは一貫して家事を果たし続けるであろうから何かの拍子に見限られるのはこちらのほうだろうとよからぬ想像をすること自体が隣人の本意ではないということを疑えないのだからほとほと敵わない人間という認識を改めずにはおれないのだ