羨望
一年ぶりと言っても差し支えない記事の投稿である
わかりやすくイベントが起こったのでほれきたとばかりに投稿ボタンを押下した次第である
以前、性交渉したり旅行をしたりした相手のブログをRSSで受信して更新のたびに目を通しているのだが、このたび、「結婚しました」というタイトルでプラチナの指輪をはめた男性の手と女性の手の写った画像とともにブログを投稿していたのだ
良かった、別れなかったんだ
あとからやってきた感情が強すぎたので今日のことだというのにおぼろげだが、おそらくこれが最初に頭に浮かんだことだと思う
前回の記事が折角親しくなった異性ができたばかりだというのに遠方に転勤の辞令が出てしまったと考えあぐねているようすだったのだ
この投稿を見た段階で、結婚するんじゃないのかなとは思っていたのだ
思っていたのだから、もう少し感情の波が穏やかでもよさそうなものなのだが、私は完璧にショックを受けていた
そうなるか、そうなってしまうのか、と自分自身に多大なる辟易を催してしまい、仕事中にfeedlyを覗いて閲覧した情報だったのでそれ以降ほとんど仕事に手がつかなかった(さしあたって急ぎの仕事がなかったので影響はなかったがだからこそこの状態に陥ったともいえる)
交際相手として認めた異性の数は我が人生でわずか三人という少なさでそのうちの一人は配偶者なので残りは二人となりそのうちの一人が彼なのだがこの男は私が生涯で初めて性交渉を持った男だ
なので、おそらくそれなりに思い入れがあったのだろう
別れ方も、前の女が忘れられないとふられたので、納得がいかないまま関係の終わった人間という印象が強い
そういう人間については、あまりおおっぴらに認めたくないことではあるが、どうやら私は不幸でいてほしかったのだとおもう
交際を解消してからもほそぼそと彼のブログを閲覧しながら、幸せになってと思っていたつもりだったが、それは大きな間違いだったようだ
彼が幸せになろうとしている、いや、(新居からの眺めはスカイツリーが見られるなどという文言を見る限りはすでに)幸せになっている証左を発見するにつけ、圧倒的勝ち組と吐き捨てたい気持ちにかられてしまったのである(こういうときはなぜか自分がまだ独身であるかのようなマインドに錯覚してしまう)
そんなに?そんなに幸せを願いたくない相手だったのか?
それはちがう
恐らく、私は私が彼にそぐわなかったことに後悔がくすぶっているのだ
でも今の私であればいざしらず、当時の幼稚な私に彼との関係が続けられるはずはなかった
なんなら、始まりからおかしかった
だからしかたなかった
しかたなかったにしても、後悔してはいけないとか感傷に浸ってはいけないなんてことはないのではないだろうか
婚姻関係を結んだと知った今夜、私は、彼に言いたかった
お祝いを、おめでとうを言いたかった
ブログのコメント欄で共通の知人だったひとが祝いを伝えているのを目にする
うらやましいと感じる
伝えられることが、受け取られることが、うらやましいとかんじる
関係のない他人が届かない祝いを自発しようともそれはただの自己満足でしかなくて届かない感情の拠り所の無さは悲しくさえあるのではと自嘲するのだ